田上病院耳より情報

2014年10月01日シドニーリンガーとフレデリックリンガー
〜臨床検査室〜

現在 長崎ではユネスコ世界遺産の登録申請が進められていますが その中の産業遺産に大きな足跡を残している フレデリックリンガーと 兄で医学者のシドニーリンガーについて書いてみたいと思います。

                    

シドニーリンガーは世界的に有名な生理学者でリンゲル液の発明者です。一方のフレデリックリンガーは長崎グラバー園内にあるリンガーハウスの元主人で、かつて長崎にあったホームリンガー商会の設立者です。実はこの二人は兄弟で兄がシドニー弟がフレデリックです。これからこの兄弟の経歴について簡単に紹介します。

 

シドニーリンガーとリンゲル液

1882年シドニーは生理食塩水を使って心臓の潅流実験を行う準備をしていましたが、このとき使用する蒸留水に実験助手が気付かずに、実験室の水道水を混入してしまったのです。それを知らない彼は、その生理食塩水をそのまま使用して実験を行いました。
しかし、混入した水道水に含まれていたアルカリイオンの作用により、今までの実験では見られなかった強く、かつ長い心臓の収縮が起こったのです。 
この偶然のミスに着目した彼は研究を続け1883年、ついに初代の多電解代用体液すなわちリンゲル液を完成させたのです。
ちなみにこのとき実験に使用した心臓はカエルの心臓で、完成したリンゲル液のリンゲルはリンガーのドイツ式発音です。

フレデリックリンガーとホームリンガー商会

1863年兄で長男のジョンといっしょに中国の広東で英国系商社に勤務していたリンガーはここでトーマスグラバーと出会いグラバーの強い要請を受けて長崎へ渡ることになりました。グラバー商会では商会の幹部として活躍しますが、後年顧客とのトラブルが原因でグラバー商会が倒産してしまいます。しかしこれを機にリンガーはグラバー商会の業務の全てを引継ぐ形で自らの会社ホームリンガー商会を設立します。
事業は順調に拡大し、キング・オブ・ナガサキといわれるほどの大実業家なります。
晩年事業をグラバーの息子の倉場富三郎と二人の息子に任せて、母国イギリスへ帰国するこになるのですが その帰路の途中で亡くなってしまいます。
後年イギリスと日本の関係が悪化すると、リンガー商会は外資系商社という理由から閉鎖されてしまいますが、終戦後北九州にあった支店が復活し、現在も小倉でホームリンガー商会の社名で営業を続けています。

参考資料 大塚薬報 2011年 10月、11月号

このページのトップへ戻る

バックナンバー