田上病院耳より情報

2010年06月07日びわの香りと養生園 〜医事課〜

受付では朝早くから、患者様との会話に花が咲くことがあります。
「おはようございます。今日はいつもの診察ですねえ。」
『おはようさーん。朝早うから診てもらおだいと思うて来たとに、こげんもいっぱい患者さんの来とんなっとねえ。待ちなんかごたっねえ。そんなら先にリハビリに行ってくっけんで、こん前もろうた薬ばヒシテ分、作っとってもらわれんじゃろうか。』
「えっ?、ヒシテ分?・・・。」
『あー、ごめんごめん、わたしゃ大正生れの茂木育ちなもんやけん、話に夢中になったら、ついポロッと方言の出っとさねえ。むかしゃ、こげん言うても通じよったばってん、あんたたちにゃ、標準語でしゃべらんば通じらんじゃろうねえ。ヒシテ分ていうとは一日分ていう意味さ。あーはっはっは。』

長崎弁のスースースーやトットットなら、普段から日常会話でもよく使われるのですが、ヒシテ分という方言をこんな所で耳にするとは、まったく思いも寄りませんでした。とはいうものの、この大正生れで茂木育ちの患者様は茂木町ではなく、近接した町に住んでおられます。子どものころに茂木町に住んでおられたのでしょうか。どうもそうでもないようです。

茂木といえば全国的にも有名な茂木びわの産地で、びわの実はとくに強い香りはないもののくせがなく、ジューシーでとても甘く上品な味わいで、食べ始めるといくらでも食べられるほど美味しい果物です。しかし、茂木びわは茂木町だけでなく近接した地区でも栽培されています。茂木地区一帯はなだらかな傾斜地が多く、また海に面した風光明媚で温暖な気候にも恵まれているため、びわの栽培に適していたのでしょう。

そこで、茂木地区のことを調べてみると面白いことがわかりました。明治十二年、西彼杵郡茂木村として発足。このときの村は、北は旧日見村に接する現在の長崎市春日町、南は旧為石村に接する現在の長崎市藤田尾町までの広い範囲でした。茂木村は大正八年、町制施行により西彼杵郡茂木町となり、昭和三十七年には長崎市に編入され長崎市茂木町となりました。さらに昭和四十六年には茂木町の一地区であったそれぞれの区域は町名変更により、茂木町、田上町、早坂町、北浦町、飯香浦町、太田尾町、田手原町、宮摺町、大崎町、千々町の十か町となりました。

なるほどこうして見てくると、びわの栽培にしても方言にしても茂木地区というひとつのまとまりの中で、世代を越えて受け継がれてきたということを容易に理解することができます。患者様との何気ない会話の中で田上病院が、西彼杵郡茂木町田上名の地に田上養生園として大正十三年に開設されて以来、地域医療の担い手として、地域のみな様より茂木びわと同じように親しまれ、育まれてきたという歴史の重みを感じます。

地域のみな様に、なおいっそう信頼される医療機関の一員として、スタッフ一人ひとりが日々患者様と接することを通して色々なことを学び、少しずつ成長していくことができればと思っております。

参考資料

長崎市史風俗編下巻付録・長崎方言集覽(古賀十二郎編)〔清文堂出版〕
長崎事典・風俗文化編〔長崎文献社〕
長崎市立図書館所蔵

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